前回、火事現場を確認しようと決心し、我が家へと続く一方通行の路地を左折した途端、消防車と大勢の野次馬、そして、火に包まれた我が家が目に飛び込んできたことまでお話しました。
そうです。
夢なんかじゃない。間違いなく我が家は火事になり、燃えていたのです。まるで、漫画のように。
火事の夢を見たのだと思いたかった。でも夢なんかではなく、現実の火事が我が家を容赦なく飲み込み荒れ狂う様子を、ボクはこの目で目撃していたのです。
よくある安〜いテレビドラマだと、こういう場合、
うわぁああああああああああああ~!
主人公はそう叫ぶなり勢い良く走り出したり、急に消火活動を始めてみたり、消防隊員の制止を振り切り家の中に飛び込んで、思い出の品物を取って来たりするわけですが、
それは真っ赤なウソです。
そんなこと普通はできっこない。
自分の子供や大事な人が家の中に取り残されているなら話は別ですが、そうでない場合は、監督の過剰演出と言わざるを得ませんし、役者自身ももっと臨場感を持った芝居をして欲しいと思います。
ボクも演出家の端くれなので、自戒を込めてそう言っておきます。
実際その時のボクは、事実を目の当たりにした一瞬で、正確に「我が家が燃えている」という状況を100%認識したのは事実です。
ですが、それとは別に、目の前で起こっている事実を否定したいという気持ちが渦巻き、頭の中を支配していたのです。
火事の夢を見たわけじゃ、なかった
目の前で繰広げられている圧倒的にリアルな映像を疑う気持ち。
頭が混乱して、コンピューターならフリーズに近いような思考混乱なカオス状態でした。ですから、走り出すどころか声なんて一切出ない。ましてや、足など動く筈もありません。
けれど、
- バチバチと音を経てて燃える建物や煙の匂い
- 野次馬たちの囁きや会話
- 消火活動の怒号と放水の水しぶき
そのすべてが五感を強烈に刺激して、間違いなく、現実に起こっていることだと身体がボクに執拗に教えてくれているのも事実なのです。
人間には元来、身に降りかかった不意のパニックに対処するため、こういう二律背反的な、相容れない状況を頭の中で瞬時に作り出し、精神のバランスをうまく調整しようとする機能がそもそも備わっているのだと思います。
まあ、もっと簡単に言い換えると、単純に、
目の前の火事を「認めたくなかった」
ということに尽きますけどね。
夢じゃないなら、どうなるこれからの人生
惚けたようにじっと佇んで、火の粉と黒煙を巻き上げ、ひどく豪勢に燃えている我が家。懸命に行われている消火活動の様子を、まるで他人事のように他の野次馬の皆さんと肩を並べて見ていたボク。
そういう、わりと牧歌的な状況で、どれくらいの時間身じろぎもせず佇んでいたでしょうか?
ようやく警察に名乗り出るべきだと気が付いたボクは、最先端で野次馬をさばいている警察官に勇気を出して声をかけました。
ボクは、精一杯平静を装って何事にも動じていない様子を演じながらも、消え入りそうな不安な声でそう伝えたのです。
すると、警察官の目が一瞬ギラリと輝いたような気がしました。彼は、ボクの正体を値踏みするかのような目つきで全身を舐めるようにチェックすると、消化活動の騒音に負けじとばかり、とんでもない大声を張り上げたのです。
インベさんが、帰られましたぁああああああ!!!
と、同時に野次馬たちが一斉に僕に振り向き声を上げる。
うぉぉおおおおおおおおお!!!
ボクを取り囲む火事見物の面々が一斉にトキの声をあげ、矢のような鋭い視線と好奇心ビームを投げかけてきたのです。
な、なななな!なんですか、これ?なんだなんだ!?
これは後からわかったことなのですが、実はボクが「愛は勝つ」を歌いながら環七をニヤけて車で走っていた時には、既に火事は発生していたわけです。
ですから、ボクが火事現場に到着した時には、すでに警察は、不動産会社や大家から情報を得て、一階に住む「位部」という住人の名前も、生年月日も、両親肉親の連絡先も、なにもかもぜーんぶ把握し、既に関西に住む親には「オタクの息子さんの家が火事で燃えている」と電話連絡までしてあったのです。
ただ知らぬは唯一、当事者である「ボク一人」という状況なのでした。
携帯電話がない時代だからこそ起こった状況で、今なら全然違う展開になっていただろうと容易に想像がつきますが、携帯がなかったからこんなにもドラマチックな展開が生まれたとも言えるわけです。
でも、その時のボクは、なぜ群衆たちが「ボクという存在」に注目するのか、その理由が皆目検討が付かないわけですから、これは不安ですよ。
容赦ない野次馬たちの投げかける興味津々の鋭い眼差し。
それは、ボクを極度の不安に陥れるには充分すぎる効果がありました。まるで、突然、予期せず「強烈なサーチライト」で、その存在を炙り出された犯罪者は、同じように感じるのかも知れません。
集まった群衆たちの注目を一斉に浴びることで、ボクにはこの後の展開が空恐ろしくて仕方がなかった。
目の前の火事が、自分の煙草の火の不始末から起こったものだと信じ込んでいたボクは、取り囲まれた群衆に一斉に非難され、糾弾され、吊るし上げられるのではないかとすら感じていたわけです。
そして、その気持ちを知ってか知らでか、更に厳しい追い打ちをかけるかのように、逃げ場は決して与えないぞ!とばかりの口調で、件の警察官はボクに新たな事実を告げました。
もう既に前回の記事で書きましたが、当時ボクの住んでいたのは、アパートではなく1階と2階の上下をそれぞれ別の賃貸物件に改造した一軒家で、入口が別々に改造してある木造モルタルの日本家屋でした。
ボクの部屋はその1階部分でしたが、警察官の話では、2階に住まれていた方がこの火事で命を落としたというのです。
その言葉を聴いて、僕の目の前は真っ暗になりました。
2階の住人の方が亡くなった・・・
その事実を聞いて、ボクはカラカラに乾いて一滴もない喉の唾を、懸命に飲み込もうとしていました。
……終わりました。 完全に、ジ・エンドです。
映画ならエンドマークが流れ終わると会場に明かりが入るのですが、現実の人生はそう都合良くは行かない。もはや、ボクの人生は、25年で終了したのも同然でした。
更なる悪夢。犯人はお前だ!
煙草の火の不始末から火事を出したばかりではなく、過失とは言え人の命まで奪ってしまったのですから、この先、どう考えても償いきれるべきものではない。あまりにも大きな大きな過ちをボクは犯してしまったのです・・・。
極度のショックに返す言葉もなく、2度目の思考停止が訪れました。
そして何だか急に血糖値が下がったような塩梅でうまく立っていられなくなり、少し離れた縁石に崩れるように腰掛け、ただ茫然自失の思いで、ぼんやりと消火活動を見ているしか出来ませんでした。
これから、どうなるのだろう……。
溜息しか出ず、ボクは頭を抱え込んで塞ぎ込んでしまいました。するとそこへ予期せず、一人のおばさんが現れたのです。彼女は、ずかずか慌ただしくボクに駆け寄ると、大きく目を見開いてボクの肩を鷲掴みに揺すって、大声でこう切り出したのです。
おばさんはひどく興奮した様子で、ひと息にそう言いました。
思考が混乱している状況だったので、すぐにはこの言葉の意味が飲み込めなかったのですが、実はこの声をかけてくださったご婦人(仮名Aさん)は、ボクの家の隣に住む住人の方だったんです。
近所付き合いを積極的にしてなかったボクは、失礼にも顔さえ憶えていなかったのですが、Aさんは隣に住むボクの存在や顔をちゃんと認識していたようでした。
そして、火事が起こった時、ボクの家のトイレの電気が点いたままになっていることにAさんの旦那さんが気づいたんだそうです。
だから、ボクが火事になったのに気づかずまだ寝ている可能性がある、そう判断して、玄関ドアを壊して火事を知らせようと行動してくれた、ということでした。
引っ越してからこの時点まで、ボクはAさんと直接会話を交わしたことは一度ありませんでした。
でも話を伺ってみると、ボクがどういう仕事をしているのかは知らないけど、朝まだ暗いうちに出掛け、また逆に夜遅くや早朝に帰ってきたり、また何日も帰らなかったりする「非常に不規則な生活」をしていることを、Aさん夫婦は知っていたそうです。
だから、ひょっとして火事にも気づかず眠りこけているのかも知れない。だったら知らせてあげなければ!とドアをぶち破り声を掛けてくださったというわけ。
ありがたい・・・
心からそう感じました。
関西からの上京組のボクにとって、東京は田舎と違って煩わしい近所付き合いがないので、それが好都合で楽ちんだと考えていました。でも、いざという時に助けてくれるのは、結局は見ず知らずの近所の方々だった。
ご近所との普段の付き合いは大事なことなんだと、改めて気づかされた出来事でした。そして何より、ボクはたった今聞いたAさんの言葉に、実は、もうひとつ助けられたことがあったのです。
思い出してください。
Aさんは確かにさっき、おたくの「2階から火が出た」とボクに言った筈です。
もし、これが本当なら、この火事の原因は・・・。ボクは思わず座っていた縁石から立ち上がって、しっかりとAさんの顔を見ながら丁寧に質問してみました。
Aさんのその力強い言葉に思わずガッツポーズをしたい気持ちでしたが、高揚する気持ちを必死に抑えて心で叫びました。
よかった~!!人生、まだ、終わってなかったよ~
Aさんの証言は、ボクの煙草の不始末がこの火事の原因ではない「何よりの証拠」でした。
火事の夢は終わっても、現実はまだ終わらない
人間というのは、心、気持ちの持ちようで本当に大きく変わるものです。
安堵が心に余裕を与えてくれたのか、明日のバレンタインデー・デートを約束している彼女や関西のボクの両親、そして仕事仲間や先輩に、いまボクが巻き込まれているこの状況を連絡しなければということが、急に頭に浮かんできました。
やっと脳みそが正常に機能し始めたわけです。
そうすると、意外なことに今更ながら気がつきました。
火事の発生したその日、ボクが仕事に出掛けたのは早朝でした。始発電車が走るような時間に出掛けていたのです。そして火事があったのは、夜。
もう皆さんは、お気付きだと思います。
早朝に吸った煙草の火の不始末が原因なら、半日以上も経ってから急に火が燃え上がり、火事の原因になることはまずほとんど考えられないのではないかと思います。
つまり、火事というパニック状態に突然巻き込まれた結果、ボクは煙草を吸うという事実から、まったくもって自分勝手な連想ゲームをしていたんですね。
もちろん火事以前にも煙草の火でカーペットを焦がして肝を冷やした経験なんかもあったし、それも強く影響したと思います。つまり、完全に「この火事はボクの煙草の不始末が原因だ」そう思い込むことで冷静な判断ができずにいたわけです。
この事実に気づいたのも、実は火事から何日も経った後のことですから、人間はパニックになると、いかに正確な判断を下すことが困難かの証拠でもあると思います。
冷静になって足元を見つめてみれば、すぐに気づいただろう何てことない話も、人はひどく狼狽するとこういう失敗をしてしまう生き物なんですね。勉強になりました。
でも、なにか良からぬ状況に巻き込まれたり不安に駆られたり意図しない結果を招いたりすることは、誰にだって起こること、人生にはままあることです。そんな時は、まずは落ち着いて、一度しっかりと深呼吸をしてみるくらいの気持ちが必要なのかもしれませんね。
さて、2階からの出火だとおばさんから聞かされ、ひとしきり安堵したボクは、やっと正常な脳の機能を取り戻し、次にすべきことを考えられる落着きを取り戻しました。
まず第一に、両親にこの状況を知らせるべきでした。
東京にいる息子が火事に遭遇したと知ったら、ひどく驚くだろうとは想像しましたが、まず何より身体の無事だけでも伝えるため電話すべきだと考えたのです。
ボクは近くにいた警察官に、少しの間、現場から離れることを告げ、関西に住む両親の元へ公衆電話から連絡を入れました。電話口に出たのは母親でした。
すると、ボクの言葉を遮って、母親はこう言ったのです。
ボクの言葉「オレやけど」をいい終わらないチョー食い気味タイミングで、しかも、母親はズバンとボクの伝えたい話の核心をえぐってきたのです。
母は超能力者なのかもしれない・・・。
その意外な反応に、ボクは思わずのけ反りました。直球ど真ん中の、それも信じられない豪速球でしたから。
何度も言うようですが、当時、1992年(平成4年)という時代はネット環境もなく、携帯電話さえなかった時代。まだポケベル全盛の時代ですから、なに食わぬ言い方で核心を言い当てた母親が、ボクには千里眼か透視能力でもあるかのように思えたのです。
そういえば、これが小さい頃から聞いてきたオカンの口癖でもありました。
なるほど、合点が行きました。ガッテンガッテン! 志の輔師匠のダミ声と含み笑いが目に浮かんでくるような明快な謎解き。
考えてみれば理由はごく簡単で、ボクが環七を走っている時にはもう既に火事は発生していたのですから、帰宅して名乗りを上げるまでの間に、警察は不動産会社や大家に連絡を取り、1階に住むボクの本籍地を把握。既に親には一報を入れていたというわけです。
ただ警察のその迅速な対応に、当時はものすごく感心したことを憶えています。
そして、親に無事を伝えた後は彼女の家にも連絡を入れました。
明日はデートの約束がありましたし、何よりバレンタインデーです。彼女もボクからの電話を楽しみに待っている筈でした。連絡を入れると、残念ながら電話口に出たのは彼女のお姉さんでした。
お姉さんは朗らかな声でそう言いました。いつものにこやかな笑顔が浮かんできます。でも当たり前ですが、ボクの今の状況については、やはり何も知らないようでした。
いくら日本の警察が優秀だといえども、この短時間のあいだに「僕の彼女の存在」まで割り出してその実家に連絡を入れ、火事の状況まで伝えているということはないようでした。でも、それが却って、いらぬ心配をかけることもなかったと安心しましたね。
彼女のお姉さんは、いつもと変らぬ、ほんわかした口調でボクに続けます。
お姉さんはボクの言葉の意味を理解できず、とても怪訝に感じたようでした。
ボクとしては、激しい出火と消火活動の放水で自分の住んでいた部屋は見るも無惨にぐじゃぐじゃなわけですから、電話など使えるような状況ではない。掛け直して貰ったところで、家の電話は当然繋がらないので連絡の取りようがない、そういう意味で言ったのです。
が、ボクが火事に巻き込まれたことすら知らないお姉さんには、間違いなく説明不足だったわけで、それが大いなる誤解を招いたと気がついたのは少し後のことでした。
お姉さんは少し棘のある口調でボクにそう聞いてきました。
ボクはお姉さんの言葉に素直に、何気なくそう応えたのです。
いつもにこやかで穏やかな筈のお姉さんの口調が、みるみる「とんがりコーン」になり、ボクの言葉に苛立ってヒートアップしているのが手に取るようにわかりました。
まるで、ボクが自分勝手な理由で、一方的に彼女に別れ話を切り出そうとしているかのような展開。明らかに誤解されている状況でした。
お姉さんは事を了解したのかとても驚いた声で一気呵成に早口でそう叫ぶなり、まだ説明を続けようとしているボクの言葉を刈り取って、なぜか一方的に電話を切ってしまいました。
ガチャン!!!
ツー……、ツー……、ツー……
よほど家が燃えたと知って驚いたんでしょう。そら、そうでしょうね。条件反射的に電話を切ってしまったお姉さんを責めるわけにはいきません。
でも、ボクとしては大切な話が途中までしか伝えられなかっただけでなく、結局、一番話のしたかった彼女とは、ひと言も話せなかったのがすごく残念でした。
その後、仕事関係の先輩にも電話を入れた後、火事の現場に再びもどり状況を見守っていたのですが、結局その日は、消火活動が思いのほか長引き、夜中の12時が過ぎてもまだ終わりが見えない状況なので、翌日改めて所轄警察へ出頭するよう求められました。
ボクが出した火事ではなかったにしろ、なにしろ2階の方が亡くなられているのです。ボクは警察への出頭要請の申し出に快く応え、とりあえずその日は友人宅に泊めてもらう約束を取り付けたので現場を後にすることにしました。
が、この後、また事態は思わぬ急展開を見せるのです。
2階の方が亡くなったその理由。その理由が、
「殺人」だったからです。
我が家を焼き尽くした火事が単なる火事ではなく、その原因が「殺人放火」によるものだと聞かされることになるとは、この時のボクは勿論知るよしもありませんでした。