さて、いよいよ事件は解決篇へと進みます。

今回は殺人放火事件に巻き込まれ重要参考人になってしまったボクが感じた、誰もわかってくれないことによる心理的なプレッシャーに関しても語っていきたいと思います。

前回の記事はこちらから

殺人放火事件発生から約ひと月が経とうとする頃、事件は突如の急展開を見せることになります。

犯人の男が、とうとう逮捕されたのです。

その詳しい話は後述するとして、とにかく火事発生からの一ヶ月はボクにとってひどく慌ただしい怒濤の日々でした。

東京に上京してきた当時のように、一切何も持たない状況下で新しい住居を決めて契約し、最低限必要なものを買いそろえる。

それは今までの自分の生活を上書きするような新鮮さを与えてくれた一方で、いつ解決するとも知れない事件の影に常に怯えている、とても不安定で重苦しい毎日でもありました。

撮影の仕事にも早く復帰しなくてはならないので、警察への協力にいつまでも関わっていたくありませんでした。でも、こればかりは犯人が逮捕されないと解決しない問題ですから、自分個人の力ではどうすることも出来ない歯痒さがありました。

そして、犯人逮捕に至るまでのひと月の間、僕が最も恐れ続けたのは、この前の記事にも書いた「犯人である男の存在」に対してでした。

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誰もわかってくれない重要参考人の心理

内容重複を承知でもう一度お伝えすると、放火殺人事件でXさんを殺した犯人の男を想像したことから、ボクの心理的苦悩が始まりました。

犯人の男が、殺されたXさんの部屋にもし頻繁に出入りしていたというのなら、ボクは知らなくても、犯人の男はボクの姿を目撃したことがあるのかも知れない。ひょっとしたらすれ違っていたことだってあるのでは・・・そう想像したことがボクを苦しめることになるきっかけでした。

もし仮に、犯人がボクの顔を知っているのだとすると・・・その男は、今後どういう行動に出るだろう?

この時、ボクが勝手に想像したのは、事件解決の手がかりを掴んでるかも知れない「ボクという存在」を消してしまおうと考えるのではないか、という考えでした。

んなこと、ありえねえよ

皆さんはそう思うかも知れないし、今の自分なら誇大妄想だと感じる。でも当時は一度頭に浮かんだこの妄想にとりつかれ、ボクは常に恐怖を感じて毎日の生活を送ることを余儀なくされたのは事実でした。

電車に乗るときはホームの壁にぴたりと背中をくっつけて到着する電車を待ち、ホームの乗客全員が乗るのを見届けてから、さらに周りの状況を目視確認。誰よりも最後に電車に乗り込みました。

背後から突き落とされるかも知れない・・・

そんな恐怖が拭えなかったからです。

メシを食っていようが道路を歩いていようが、一時が万事こんな感じで、常に「見えない男の影」に怯えていましたし、怯えていることを周りには悟られないよう懸命に平静を装っていたというのが事実です。

万が一、男に尾行されていたら・・・

そういう考えが浮かんでくることもあり、ボクの後ろに同じ方向へと向かう人影がある場合は、新しく契約したアパートへも最短距離の経路は選ばずに、わざと複雑な道筋を選んで、何度も何度も後ろを振り返りながら帰ったこともありました。

とにかく極度に神経質になっていたので、心理的、精神的にクタクタになる毎日だったわけです。

また会社や仕事場に行けば行ったで、当時仕事仲間に関西人のスタッフが多かったせいもあって、事件をネタによくこんな質問をされました。

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スタッフA
なあ、位部くん、

正直なところ、火事で家がなくなってめっちゃ辛いなあっていう気持ちと、重要参考人になってちょっと美味しいなって気持ちと、どっちが強い?

何とふざけた失礼な質問に聞こえるかも知れませんが、ボクも関西人ですから相手が喜ぶその答えは見えています。

なので神妙な顔を作ってこう返すわけです。

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ボク
そうですね〜
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スタッフB
どっち?
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重要参考人の方が、ちょっとだけ美味しいかな。ちょっとだけね♪
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スタッフC
あははは、やっぱりそうなんや!はははははは

まあ、なんとアホなやり取りかなと思うかも知れません。けど、ボクにとっては、笑いにしてくれる方がどちらかというと有り難かった。

神妙にボクの気持ちに寄り添おうとしてくれると、却ってこちらも気を使って気疲れしてしまう。それなら、いっそ、不謹慎でもこういう笑いに持っていってくれた方が救われた気がします。

誰もわかってくれない孤独感

けれど、約ひと月もの間、仕事やプライベートで会う人会う人に事件の経過や状況を面白おかしく語って聞かせるうち、ボクはひとつの重大なことに気付いたんです。

それは、今回の殺人放火事件の犯人は誰だと、ボク以外の人は思っているのかということでした。

事件の犯人はボクじゃないという事実は、実は「真犯人が捕まるまでは、ボク本人にしかわからないことなんだ」ということでした。

親であろうが、恋人であろうが、親友であろうが、どんなに心を許してボクを信用してくれている親しい人たちであろうが、事件の真犯人が捕まるまでは「ボクが犯人である可能性は否定できないよね」。そんな気持ちを心の奥深くに知らず知らずに持っているんだろう。そう感じたのです。

そしてそれは、どれだけ誠意を尽くして相手に語っても、あらん限りの熱意を込めて訴えてみても、決して埋まらない溝だとボクは感じたのです。

事件の真相、ボクが犯人でないことは、実はボク本人にしかわからない。誰もわかってくれないんだ・・・

誰にも言えないそんな孤独感について考えたりもしました。

世の中では毎日色んなメディアでニュースが報道され拡散されていますが、容疑者や被疑者として扱われている人たちが大勢いますよね。

でも、その中にだって、全くの無実を誰にも信じてもらえないで苦しんでいる人たちがいるように思います。冤罪事件などで人生を棒に振った人たちの無念とボクの感じた気持ちは同じではないかと想像するのです。

潔白を証明してみせるための最終手段

そんな複雑な感情を心の奥深くに抱えて望んだまま、何回目かの警察への任意出頭で、警察の申し出に従って、ボクはひとつの大きな決断をしたのです。そしてそれが、自分は犯人ではないという身の潔白を証明してみせる唯一の方法だと思ったのです。もう後には引けない決断。

それは、DNA鑑定でした。

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ハゲタカ刑事
位部さん、DNA鑑定させてもらえませんかね?

警察は事件現場から、犯人のものと考えられる体液を採取したようでした。それを聞いたボクは、自分が犯人でないことを科学的に証明できるなら・・・そう考えて警察からの申し出を受けたのです。

今でこそ、ゲノム解読も進み、DNA鑑定は犯罪捜査には欠かせない必須ツールになっていますが、1994年当時はまだまだポピュラーな方法とは言いがたく、その鑑定精度もまだまだ低かった時代です。

警察からのDNA鑑定の申し出は、ボクを犯人候補だと考えてオファーだったかも知れません。でもそれは、ボクにとっても身の潔白を自分の行動で証明してみせる唯一無二の機会だったのです。もう疑われ続ける日々はいらない!

みんな信じてくれ!!ボクは犯人じゃない!!

あらん限りの声で、そう叫びたかった。そして、ボクは鑑定を受けたのです。

DNA鑑定とはどれほど大変な検査をすることになるのかと思っていましたが、刑事が持参した、こより状の小さな紙を口にくわえて唾液で濡らし、小さな試験管に入れればそれで終了でした。

あっけないほど、あっという間の検査。

こんな簡単なことでDNAがわかってしまうのかと拍子抜けした一方で、万、万が一、事件現場で採取されたDNAとボクのDNAが一致してしまったとしたら、その時は一体どうなるんだろう?

終わった途端、急にそんな不安な気持ちに襲われたのを今でも覚えています。

もし仮にDNAが一致したなら、その時はどんなに泣こうが、どんなに喚こうが、ボクが犯人として確定されてしまったのでしょうか?

そんな荒唐無稽な、でも決して『ないとも限らない展開』を考え、科学捜査の怖さについて考えたことを昨日のことのように鮮明に思い出します。

真犯人現る!こいつが犯人だ!

さて、自分で出来うる限りの警察への協力を全てやり終え、放火殺人事件発生から約ひと月が経とうした頃、遂に犯人である男が逮捕されました。

殺された女性の口座から金を下ろす様子が監視カメラに捉えられたのが犯人逮捕のきっかけ。男は捉えられ、全てを自供したのでした。

誰もわかってくれないという心理、犯人に命を狙われているのではないかという妄想からもようやく解放された瞬間。世間の人には読まれもしないほど小さな扱いの「犯人逮捕記事」は、ボクにとっては実に意味のある瞬間でした。

その後、裁判では「殺人と放火」という極めて残忍な犯行が断罪され、犯人は無期懲役の判決を言い渡されました。

この一連の告白記事の一番最初に書いたように、この事件(火事)が起こったのは、元号が昭和から「平成」になり、バブル経済が弾けた直後のことでした。

犯人逮捕の連絡を頂いた後、刑事さんにお会いして聞いたところによると、犯人の男は証券業界で働いていた人物ということでした。

バブルが弾けたことで予期せぬ巨額の損失を出してしまい、その損失の一部を補おうという目的、お金目当で女性に近づき殺害したという話でした。自分の保身のために走った男の身勝手極まりない行動には強い憤りを感じると同時に、この機会に改めてお亡くなりになった女性にはお悔やみ申し上げたいと思います。

犯人が遂に捕まったことで、僕も毎日感じていた「見えない恐怖」からは無事解放されたわけですが、けれど今だにバレンタインデーが来るたびに思い出すほど、強烈な記憶として体に染み付いてしまった、そんな事件になりました。

これからの私たちへ

早いもので、あれから20年以上もの月日が過ぎました。

そして今回、この記事を書くにあたり、火事で燃えてしまったわが家のあった懐かしい場所を訪れてみることにしました。事件が発生した年以来のことでした。

火事の起きた当日、2月13日。バレンタインデー・イヴの夜。赤色灯を持った警官が迂回を支持していた川添いの一方通行の道は、20年の時を経ても全くあの日のままの佇まいで、何一つ変わっていませんでした。

なんだか懐かしさを通り超して、まるで、その当時にタイムスリップしてしまったかのような不思議な感覚・・・。

ならば、昔のわが家の跡地はどうなっているんだろう?

あの日、ボクの目に飛び込んで来たショッキングな火事の映像、消化活動の喧噪と怒号が嘘のように、ボクが視界が捉えたのは、穏やかな日差しの中に建つ真新しい新築の二階建ての家でした。

のどかな午後の日差しの中で、2階のベランダに干してある洗濯物が風に揺れてるのが見えました。

衣類の中には、子供用と思える小さな靴下やシャツがあるのを見ると、その家に住む家族のようすが浮かんでくるようでした。

きっと幸せなんだろうな・・・

そう想像しながらも、言葉にできない、なんともうまく説明できない複雑でもどかしい感情も、ボクにはありました。

今、世界では連日さまざまな事件が起こり、ボクたちはインターネットやテレビ、その他、色んなメディアや個人ツールを通じて、それら事件や事故の膨大な情報を手に入れています。

でも、ついつい表面的なインパクトやキャッチの強さだけで感覚的にニュースを捉えて無意識に判断して善悪を決めつけ、そこに横たわっている人間の姿や、報道の裏に隠されている物語やドラマを想像してみる一手間を、忘れているようにも思います。

それだけ時代の流れが早く、誰もが気持ちに余裕がない。というのが、本当のところかも知れません。

最初にお伝えしたとおり、今回書いたボクの巻き込まれた事件も、事件発生当時の新聞では、ほんの小さな小さな取るに足らない記事にしかなりませんでした。

でも、フタを開ければ、こんなにも色んな人間ドラマや感情が隠されている。そのことをボクはこの連載記事で伝えたかったんです。

あなたの周りで起こる『小さな小さな、とるに足らない出来事』

そこにもまた、人々の興味深く心動かされるドラマが隠されている。

そんなことを心の片隅にでも覚えていて欲しい。そう思っています。そして、ボクもそのことを肝に銘じつつ、私たちの住むこの世界がより良い世界になるよう、これからも活動していきたいと思います。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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