ホノルルマラソンの時期になりましたね。
実は、僕も2015年のホノルルマラソンに参加して、マラソン初完走を果たした思い出深い大会です。いや〜、ホント楽しかった。次はいつ参加しようかと思案中です。
さて、そこで今回はホノルルマラソンネタ。『ホノルルマラソンに日本人で初参加した人物』について少しまとめてみましたので、是非お付き合いください。
ホノルルマラソンに日本人初参加した市民ランナーの草分け
ホノルルマラソンは、毎年12月に行われる一大イベントですよね。
毎年、2万人から3万人単位のランナーがハワイのオアフ島・ホノルルに集まり、2019年には47回目の大会が開かれます。
過去を紐解くと、1976年の第4回大会、参加数1670選手のうち、 唯一たった一人の日本人が参加していたのをあなたは知っているでしょうか?
その人物は、佐々木生道(ささき せいどう)さんという、今では市民ランナーの草分け的な存在と言ってもいい人物です。
ただ、佐々木さんがマラソン競技を始めたのは、55歳を過ぎてからというから驚きです。それまで陸上競技の経験も一切なかったようですし、佐々木さんが日本人初のホノルルマラソンに参加したのは、63歳の時でした。還暦を超えていたんですね。
以来、彼は、1976年から1986年(73歳)までの10年間ホノルルマラソンには連続で出場し完走を果たしています。
日本人でたった一人で参加した、そのパイオニア精神もすごいですが、50歳を超えてからの挑戦には、本当に学ぶべきことがいっぱいあるように思いますのでその経緯をご紹介しようと思います。
それにしても、人間、いくつになっても本当にやりたいことは、誰が何と言おうが達成しようと行動するもんですね。
大事な人に止められても、それでも絶対に達成したいこと。
あなたには今、あるでしょうか?
佐々木生道さんがマラソンを始めたきっかけ
それにしても、55歳までマラソンはおろか、陸上競技の経験など全くなかった佐々木さんは、どんな理由でマラソンの魅力に虜になっていったんでしょう?気になりますよね?
実はマラソンを始める前の佐々木さんは、決して大柄ではないのにもかかわらず体重が96キロもあったそうです。
酒は1日に一升、ビールは10本、タバコも100本吸うような無頼な生活を続けていたんだそうです。今で言えば完全にメタボを超えて超肥満体ですし、不健康極まりないとお医者さんからレッドカードを突きつけられても仕方ない状況ですね。
そのツケが回ったのか、52歳になる頃、佐々木さんは糖尿病になってしまいます。
ですが、そこからが佐々木さんの普通ではない凄いところです。
これはマラソンを完走するための精神力にも繋がる要素だと思いますが、禁酒・禁煙・ダイエットで健康を取り戻すことを固く決意すると、それからは1日5時間〜6時間も歩くことを休むことなく続けたんだそうです。
1日5時間も歩くなんて、仕事はどうしたんだろう?
なんて少し気になりますが、一般的には「人は時速4kmで歩く」といいますから、1時間で約4キロ。
でも、佐々木さん場合はダイエット目的だから、一般の人より少し早めのピッチで歩いただろうと想像すると、1時間で約5キロくらいは歩いたのかなと思います。とすれば、5キロ×5時間で25キロ、6時間なら30キロも毎日歩いたことになります。
そして、それが功を奏したのか、わずか半年で体重は48キロ、当初の半分にまでなったというからびっくりですよね。そして、急激な体重減少に関してはこんなエピソードも。
近所のうなぎ屋のおかみが「ねぇ、あんたに似た太った人、この頃見かけないけどどうしたの?」と聞かれ、自分だと答えると、あまりの姿の変化に自分だと信じてもらえなかったという
wikipedia
爆笑でした、ほんと。
そら、そうでしょう。半年で体重が半分に減ったら、人相も体型も大きく変わるから相当な変化でしょうから、わからなくなるでしょうね。
でも待てよ・・・近所なのに、うなぎ屋のおかみに半年一度も会わなかったこととか、体重が減り始めたら近所の噂になりそうなもんだけど・・・。
ま、そこは豪傑奇譚ですから、多少のモリは良しとしましょうね。カリカリしない。これでいきましょう。
マラソン選手・山田敬蔵氏との出会い
さて、佐々木さんがマラソン人生に突入する最初のきっかけとなったのが、糖尿病治療のための減量作戦。
そして、もう一つが、ヘルシンキオリンピック男子マラソン日本代表の山田敬蔵さんとの出会いです。
山田敬蔵さんは、秋田県大館が生んだスーパースター。1953年4月20日開催のボストンマラソンを優勝した名選手で、その活躍は1954年「心臓破りの丘」(大映)というタイトルで映画にもなっています。
また、1953年を皮切りにボストンマラソンには何度も出場しており、2003年にはボストンマラソン優勝50年を記念して招待選手として参加。優勝した年の1953年という数字にちなみ、ゼッケン番号1953は「永久欠番」になっているんだとか。
で、そんな山田敬蔵さんが主催するランニング講座を受講したことで、佐々木さんはマラソンの魅力に開眼して取り憑かれ、深く深くマラソンという競技にのめり込んでいくことになったんだそうです。
不可能を可能にする佐々木さんの行動力に学ぶ
佐々木さんが、ホノルルマラソンに日本人として初参加する3年前のこと。
1973年、佐々木さん59歳の時に、念願であったボストンマラソンへ市民ランナーとして出場し、見事完走しています。
ああ、そうなんだ。くらいに思ったかもしれませんが、実はこれ、相当に画期的なことなんです。
今なら市民ランナーがボストンマラソンへ参加するのは当たり前。ですが、1973年当時は、海外で開催されるマラソンには日本陸連に選考された選手だけが参加できるシステムでした。
陸上選手としての過去の実績も全くなく、しかも55歳で始めたマラソン競技。59歳迎える頃には、いくつかのマラソン大会で完走の実績を持つまでになっていましたが、素人と言っていい佐々木さんが、海外レースのボストンマラソンに参加できる筈がなかったわけです。
けれど、それを必ず実現する!何が何でも実現する!と決意し、アクションしたその行動力にはとても学ぶべきことが多いです。
ダメだと言ってるのは世間だ。オレじゃない!
オレにはできる!オレはそれをやりたいんだ!
想像すると、そんな佐々木さんの叫びや熱い気持ちが伝わってくるような気がします。
なんでも、それほどまでに佐々木さんがボストンマラソン出場にこだわったのは、マラソンの師匠でもあった山田敬蔵さんが優勝を飾ったのが、他ならぬボストンマラソンだったからなんだそうです。
佐々木さんは、きっと師匠と同じ風景を自分の足で走りたかったんでしょうね。
山田敬蔵さんの談話によると、
佐々木生道は、ボストンマラソンへの参加を実現するために、ボストンマラソンの運営事務局に直接ラブレターを送り、切符を勝ち取った。手紙の内容はわからないが、信念を貫く強い気持ちが、参加を実現させた
wikipedia
とあります。
結果から言えば、結局、佐々木さんは初参加を勝ち取った1973年大会から1982年まで10年間、連続してボストンマラソンに参加をしているのだから、人生本当にわかりません。
人間やろうと思えば、不可能などないんです。
そして、ありきたりですが「強い気持ちや決意」ほど大事なものはない。それを雄弁に語るエピソードだと思いますし、良き師匠に巡り会えたことも、また重要な要素だと思います。
まとめ
そして、1973年。佐々木さん63歳の時に、全参加者1670人のうち、たった一人の日本人ランナーとして、ホノルルマラソンに初参加したのは既にお話した通りです。
現在では、毎年1万人以上の日本人参加者が集う世界的な大会の歴史に、初参加の日本人として名前を残すことになったのは、47年前の出来事でした。
佐々木さんの行動から学んだことをまとめてみると、糖尿病をいう病気の克服に始まったことも重要ですよね。なにも病気だって悪いことばかりじゃない。それを自分の成長に繋げる気持ちと言葉を持つこと。諦めないことが重要だと改めて教えられました。
そして、マラソン競技、さらには師となるメンターとの出会い。自分の何がなんでも手に入れたい目的に向かって、がむしゃらに行動を起こし、世間の常識をひっくり返したボストンマラソン参加権の獲得、ホノルルマラソン日本人初出場。
とても常人では成し遂げられないような英雄物語にも思えますが、本当にそうでしょうか?個人的には、佐々木さんはごく普通の人だと思います。本当です。
ただ彼が普通の人と違うのは、普通の人が考えつかないような大きなゴールを持っていたことだと思います。
夢ではなく、目標としてのゴールです。
佐々木さんの目標を口に出せば、おそらく当時、世間の人は嘲笑したと思います。いや、今だって笑われ、からかわれて終わりかも知れませんね。
55歳まで陸上経験の全くないメタボで糖尿病を抱えたオヤジが、陸連の推薦なしにアメリカのボストンマラソンに出るって言い出せば、普通なら誰も相手にしないでしょう。それが世間の常識ですから。
そんなの無理でしょ!不可能だよ、頭、大丈夫?
そう言われても仕方ないのかも知れません。けど、結果はお伝えした通りです。佐々木さんの目標、それは実際に実現しました。
なぜなら、誰がなんと言おうと、どんなに反対して引き止めようが、佐々木さんはその目標を心の底から実現したかったからだと個人的には思っています。
いかに心がワクワクするような大きなゴールを持つことができるか、そして、自分にはそれが実現可能だと自分自身を信じられるかどうか。そこが最大のポイントだと思います。
はっきり言いますが、あなたにも出来ることだと思います。
世間の常識や価値観ではなく、あなたが心の底からやりたいことを始めてみてください。決して簡単ではないかも知れませんが、きっとそれは実現します。
最後にひとつだけ付け加えておきますが、佐々木さんはマラソンのトレーニングとして毎日ウォーキングを欠かさすことなく、その延長でランニングへと進み、朝夕2回、各10キロずつ走ることを55歳から生涯欠かすことはなかったそうです。
あなたは、これを努力と思うでしょうか?
僕はそうは思いません。佐々木さんは、毎日が楽しくて仕方なかったんだろう。そう考えています。それが人間なら誰にも備わっている本来の力だということを、僕もこれから証明していきたいと思っています。