警察での長時間わたる取調べを終えて、ボクの意識は朦朧としていました。精神的につらい時、魔法のように抜け出す対処法があれば、誰かに教えてほしかった。
けど、そんな対処法は自分の頭からは何も浮かんではきませんでした。
精魂尽き果て、もう二度とハゲタカやホクロ狸の顔など見たくない!そう思いながら逃げるように取り調べ室を出ると、帰りの電車にシートに身を沈めこんだのです。
エンドレスの事情聴取と衝撃の死因
すでに前回お伝えしたとおり、火事被害に巻き込まれ家を失った翌日、ボクは所轄の警察に事情聴取のため任意で出向いたわけです。
突然予期もせず家を失ったショックは大きかったけど、起こってしまった過去はどう取り繕っても取り戻すことは出来ない。ならば先を見て気持ちを切り替るために、まずは今回起こった火事について自分なりに納得の行く行動を取ろう、そう考えました。
そう考えて、まず真っ先に『警察に協力しよう』と考えたのは、あの頃ボクは若かったということでしょう。
また仕事柄、当時は助監督をしていたこともあり、実際の警察の取調べやその進行には大きな興味があったので、ほんの軽い興味本位の気持ちで事情聴取に応じたという側面もあります。実際この目で警察の行動を観察する『千載一遇のチャンス』という風にも捉えていたわけです。
まあ、事情聴取って言ったって、2時間も話をすれば後は笑顔でスキップして帰れるものとばかり考えていた。帰りにはおいしい酒が飲めそうだ!くらいの能天気さでした。
でも、その見立ては、完全に甘かったわけです。
実際の事情聴取は、火事が起こった日、その日一日のボクの行動を何度も何度も、ねちねちねちねち、まさに根掘り葉掘りで質問を受けることになり、気がつけば5時間経過していました。
いい加減うんざりして「帰りたい」と刑事に申し出たところ、2階に住んでいた女性の死因が『殺人』によるものだという圧巻の新事実が判明。
急転直下、更に取調室に留め置かれ、さらに何度も何度も、また、ねちねちねちねち火事当日の話や諸々の詰問攻めにあい、更に2時間プラスで、計7時間も取り調べ室にいたわけです。
警察に協力してみるか
そんなほんの軽い気持ちだったにも拘らず、三夜連続の年末時代劇なら一気見に匹敵する膨大な時間を、狭く殺風景な取調室で過ごす羽目になったわけですから、精神的にはかなりつらい。疲れるのも無理はありません。
昼過ぎに出頭した警察をようやく解放された頃には、辺りはすっかり夜のとばりが下りて、焼き鳥と酒が似合うそんな時間帯になっていたのです。
電車の窓に映る自分の顔を見ながら、僕は周りの乗客に悟られないよう、そっと溜息をつきました。
ハゲタカの言葉を借りると、2階の女性(仮名Xさん)は、プロパンガスのホースのようなもので首を絞められた後、灯油を浴びせかけられ、更に火を放たれ殺害されたということでした。
つまり、警察に行くまでは、火事でお亡くなりになった2階の住人の方は「火事が原因の一酸化炭素中毒死」だと個人的に思っていたわけですが、実は「絞殺と放火による残忍極まりない殺人事件」だったわけです。
その話を思い起こすだけで頭がクラクラしました。
なぜ、このボクはこんなひどい事件に巻き込まれることになってしまったんでしょうか? 一体、僕が何をした報いだというんでしょうか!
チクショー、責任者出てこい!!
ボヤいてみたところで事態は一向に変わる筈もないのに、僕はとにかくボヤかずにはおれず、好意で警察に出頭したことを深く後悔していました。
それに、まるでボクが『殺人事件の犯人』であるかのように疑い、次々と尋問してきたハゲタカとホクロ狸の刑事二人の態度も許せなかった。
にゃろ! もう二度と協力せえへんからな、あほんだら!
車窓に流れていく家の明かりをぼんやり見ていると、ボクは急に彼女に会いたくなり、気がつけば次の駅を降りて電車を乗り換え、彼女の家を目指していました。
精神的につらいときの支え
彼女との再会には、精神的に本当に助けられました
久しぶりに彼女の顔を見ると、僕は言いようのない安堵感に包まれ、予期せぬ事件に巻き込まれてささくれ立った気持ちが、少しずつ癒されていくように感じました。
そう話すと、彼女はさも可笑しそうに笑い転げ「ゴメンね」と言った後、ボクに手作りチョコレートとセーターをプレゼントしてくれました。すっかり忘れていたのですが、
この日はバレンタインデーだったのです。
そうか。本当なら、今日はデートをしている日だったんだな・・・。
まさかの展開でしたが、火事の起こった当日からこれまでの経緯を話すと、彼女はボクのショックを自分のことのように真剣に受け止めてくれ、熱心に話を聞いてくれました。大好きな彼女の存在と彼女と一緒にいる時間だけが、その時のボクの唯一の救いだったと今でも思うのです。
とにかく、生活を立て直すべくやることが山積みでした。
1からの出直し
翌日からは頭を切り替えようと努め、ボクは新しいアパートを探すため精力的に不動産会社を回り、それと同時に大家さんとの折衝、失った財産について雑損控除の手続きなどを一つ一つ進めていくことにしたのです。
後学のために記しておきますが、
災害や盗難などによって資産について損害を受けた場合、一定の金額の所得控除を受けることができる、という制度
東日本大震災のニュースでも頻出したキーワードですが、ボクの場合も予期せず火事に見舞われ資産を失うという甚大な損害を受けたのですから、これに該当するわけです。
でも、結果的にいうと、ほとんどお金は戻ってきませんでした。
なぜなら、火事で失ったと申請する項目は、例えば、腕時計、洋服、家電製品など。ただ、いくら高額で購入していた物でも、一度でも使用していれば『中古品扱い』になり、ほとんど価値がないものとして査定されてしまうからです。
なので、この制度は、ボクを経済的に助けてはくれませんでした。
1994年当時の景気は、バブルが弾けた後とはいえ今に比べると割と良かったということもありますが、振り返ると当時25歳のボクは
宵越しの金は持たねえやい!!!
とばかりに、貰ったギャラは見境なく全て使い切ってしまうような江戸っ子気取りの生活でしたので、貯金というものがほとんどありませんでした。
でも、新たにアパートを借りるためには、敷金礼金に不動産会社との契約金、入居家賃の前払いなどを考えると、設定家賃の5ヶ月から6ヶ月のまとまったお金が必要でした。
なので、火事後、大家さんに直接お会いする機会を設けて頂いた時には、それこそ必死のパッチで交渉に臨んだわけです。予期せぬこととはいえ、火事で居住者に与えた責任を感じているだろう大家さんの気持ちを逆手に取って、ボクが切り出したのは賃貸物件に対する誇大な愛着表現でした。
- 出来ればあの家に長く長~く住みたかった
- 気に入っていたので、結婚してからもずっとあの家に住もうと考えていた
- でも図らずもあのような『ひどい災難』に巻き込まれたのは本当に残念
そんなことを懸命に話したように記憶しています。
少しばかり大袈裟な言い方には違いないけれど、切実なる状況を訴えるべく必至に芝居を打ったわけです。簡単に言えば、要は、
そう伝えたかったわけです。
その熱意やボクの猿芝居が、大家さんの心に響いたかどうかは定かではありませんが、とにかく大家さんからは、新しいアパートを契約するための見舞金を頂くことが出来たのは有り難かった。
また親兄弟からはいうに及ばず、仕事仲間や上司、学生時代のサークル仲間たちや大学の友人達が、同じく見舞金やカンパという経済的援助でボクを助け支えてくれました。
そのお陰で今のボクが存在していると考えると、お世話になった皆さんには、本当に感謝しか言葉が見つかりません。
皆さん、その節は本当にありがとうございました!
きっと何かの形で、きっとお返ししたいと思います!
そう言えば余談ながら、区からも金弐万円也(2万円)の見舞金と毛布を一枚、なぜか救急箱も火事見舞いとして頂いたのを覚えています。
精神的につらいが再び警察へ協力することに
さて、こうして大勢の方々に支えて頂いたお陰で新しいアパートを契約することが出来たのも束の間、再び警察の影がボクの背後にひたひたと近づいていたのです。
結果から言うと、僕はその後、二度と協力しないと心に決めた警察署に複数回出頭することになりました。もちろん、任意ですが……。
警察は殺人事件の捜査本部を所轄に立ち上げ、まず火事と消火活動で形をとどめない我が家で「実況見分をお願いしたい」とボクに打診してきました。
ほとんどの物は燃えてしまったでしょうが、いずれ火事の後始末は必要でした。
ボクとしても、大切な写真や思い出の品が万が一残っていれば是非とも持って帰りたい。そんな気持ちもあったので、協力はやぶさかではないとお受けしたわけでした。
それに加え、またもや「実況見分」という警察用語に助監督の興味アンテナがピコピコ反応してしまった事情も少なからずありましたが……。
実況見分の奇妙な感覚
さて、実況見分のため何日か振りの旧我が家です。それは晴れやかな昼間に行われました。
自宅に戻るのは火事の夜以来でしたが、昼間の陽射しに照らされた我が家は見るも無惨な状況で、改めて修復不可能であることをダメ押しされた気分になりました。
火の元である2階部分はほぼ全焼で陥落、一階のボクの部屋は半壊焼という感じでした。火事で燃えたのは、およそ半分くらいの面積でしょうが、消火活動の猛烈な放水圧力でもうグジャグジャのどんがらがっしゃん。自分の住んでいた部屋は、煤まみれの真っ黒クロスケ状態でした。
家の断面はブルーシートで囲われ、キープアウトの黄色い立入り禁止テープも張り巡らされています。
でも、奇妙な感覚をその時、ボクは感じていました。
正真正銘、間違いなく我が家なのですが、火事設定の映画やドラマのロケ現場に来たような、まるで他人事のような奇妙な感じがしたのは、やはり撮影を仕事にしているスタッフ特有の感覚なのかもしれません。
まるで他人の家のように冷めた目で我が家の惨状を見ている自分を、不思議に感じている、もう一人の自分がいることがこれまた不思議でした。実にややこしい話ですが。
さて、実況見分にあたっては、まず警察に腕章を腕につけさせられ、鑑識と一緒に写真を撮られました。この人が証言した人だと、あとで事件の調書に記録として残るのでしょう。
そして、いよいよ燃えた我が家に足を踏み込んで行くわけですが、実況見分とは何をするかと言うと、簡単にいうと
「事件の証拠集め」です。
お亡くなりになったXさん(仮名)は2階の住人の方だったので、焼け落ちた2階からボクの住んでいた1階部分に、彼女の部屋にあったものや持ち物が落ちて来ている筈です。
なので燃え残った物で、1階に認められる物全てに番号札とマーク(ヒモで輪っか状に囲ってある)がつけられており、それを刑事と鑑識と一緒に順に回り、マークされた品物をボクが逐一確認していく作業をするわけです。
と警察は1番の輪っかで囲ってあったヒモを取り上げる。
そうすると、鑑識が「はい」と言うなり、2番のハブラシの写真をパシャパシャパシャ!と連写。これが火事場に残った事件の重要な証拠品になるということ。この作業を繰り返すのが実況見分です。
燃えずに残った『炎のカチンコ』
実況見分作業が終わると、ボクは警察の許可を得て、何か持ち帰れるような物はないかと自室の火事現場を見て回りましたが、ほとんど何も残ってはいませんでした。
お金を出せばまた買えるものは失くなったから仕方がないと割り切れても、写真や思い出の品が燃えてしまったのは、何とも言いがたい残念な気持ちになりました。
火事と激しい消火活動からも運良く逃れ、唯一、ボクが現場から持って帰れたのは、高校生の頃に親父がプレゼントしてくれた麻雀セットと助監督の先輩に貰ったカチンコだけでした。
そのカチンコは、その後、仕事に復帰した時にも「炎のカチンコ」と呼ばれて活躍し、今だに大事に持っています。監督となった今は、もう叩くことはありませんが、今でもカチンコを見ると当時のことを鮮明に思い出します。
東京が怖い。世間の監視する鋭い目
さて、実況見分の延長線で、ボクは再び警察の取調室にいました。
所轄には捜査本部も立ち上がり、火事場の女性の死が殺人事件であることが確定したわけですから、改めてボクに色々と事情を聞きたいということでした。
事件は「疑うべきは一番近い人間」の鉄則どおり、殺害されたXさんの真下に住んでいたボクが成り行きで重要参考人になったのは、個人的な理不尽を感じても無理からぬことかも知れません。
火事からわずか数日しか経っていませんでしたが、その短い期間の間にも警察はあらゆる手だてを施し、当時世話になっていたプロダクションやテレビ局スタッフへの聞き込み、火事当日のボクの足取り確認までを既に済ませていました。
事件当日に仕事場からの帰りに立ち寄ったラーメン屋とその時注文したメニュー、その値段、店を出た時間に至るまで、警察が正確に把握していることにまず驚いたのですが、何よりそういう証言をする人間がいることに驚きました。
つまり「僕という人間」を記憶している人間が、いるってことです。
東京のような人の多い都会では、他人に対しては一概に無関心なイメージが当時はありました。たぶん警察が聞き込みをしても、簡単には一般人の情報など集まらないだろうな、そんな風に思っていたのに、意外と周りにいる人間が何気なく観察して記憶しているのだと知りました。
意外であり、少し怖い気さえする事実でした。
これじゃまるで犯人扱いじゃないか!
取調べ室で向かい合った刑事ハゲタカとホクロ狸。
彼ら二人は今回の火事の原因が殺人だと判明して以来、以前にも増して眼光鋭くボクに向いあい、執拗に火事当日の行動を話すよう促してきました。
かと思えば、突然ボクの話の腰を一方的に折り、聞き込みで仕入れた興味深い話。つまり、ボクが競馬をやるという事実や夜遊び、酒を飲むのが好きであるとの情報なども織り交ぜて、心理的な揺さぶりをかけてくる始末。
ま、調べばわかることですけどね
これじゃまるで犯人扱いじゃないか!
ボク自身は天に誓って殺人など犯していないのに、誰に何を言っても完全には信じてもらえないという事実。
真犯人が逮捕される意外にボクの身の潔白を証明する方法は一切なく、容疑者のひとりとして疑われている気分からは逃れられない状況だと気づいたのです。
オレは犯人じゃない! なんだこの扱いは!
短気で勝ち気なボクは、思わず何度も声を荒げそうになりましたが、そこはグッと堪えてネチネチ続く尋問にも、何度も機械のように答え続けるしか方法がありませんでした。そんな状況下で、実はボクが何気なくした発言が、また予期せぬ展開を生んだのです。
まるで、よく出来たミステリー
ボクは、2階で殺人事件に巻きまれたXさん(警察から名前だけを教えて貰っていた)の顔を知りませんでしたし、面識そのものがありませんでしたが、
彼女の声は聞いたことがある
と取り調べの中でボソッと刑事に伝えたのです。すると彼らは身を大きく乗り出し、その時の状況を詳しく話せと促しました。
僕が証言した状況はこうです。
内容までは聞こえなかったけども
そんな話をしたのです。
つまりボクは、「Xさんとは会ったこともないし面識はない」が、「男と二人でいる時の声を聞いたことがある」と発言したわけです。
そして、これは犯人が捕まり事件が解決した後でわかったことなのですが、実はこの時ボクが聞いた2階の女性の声は、「Xさんとは全く違う女性の声」だったのです。
このあまりにも意外な展開に、当時、とても驚いた記憶があります。
どういうことかと言うと、火事の起きるひと月ほど前のボクは、連続ドラマの収録で某撮影スタジオにほぼ毎日泊まり込みのような日々を送っていたわけです。そして、実は、この何日も家に帰れないスケジュールが続いていたその間に、
なんと、2階の住人が替わっていたのです。
つまり、前に住んでいた男女二人のカップルがボクが撮影所に泊まり込みの日々を送っていた間に引っ越し、その代わりに単独で住み始めたのが、今回の事件で命を落としたXさんだったのです。
家に帰れなかった数日の間に、2階の住人が全く違う人と入れ替わっているなど、誰が想像するでしょう?
ボクとしては、事件解決の糸口を警察に提供する気持ちからした発言。
なのに、図らずも事件をより混乱させ、ひいてはウソの証言をしたとも取られかねない、自らの立場を不利な状況に追いやる話を無意識にしていたわけです。
ああ、恐ろしい・・・
事件が解決し真犯人が捕まった今だから笑えますが、こういう数奇な事実が積み重なることで「冤罪」に結びつかないとも限らない。そう考えると今だにぞっとする出来事の一つではあります。
さて、その数日後。
警察は当時僕が新居へ引っ越しするまでの間、身を寄せていた姉の家の近くまで来て、話したいことがあると突然電話をかけてきました。
うんざりしましたが、約束した駅前へ出向くと、覆面パトカーにハゲタカとホクロ狸の姿が見えました。後部座席に乗り込むとハゲタカはいやらしく笑い、一枚の写真をボクに見せました。
そういって見せられたのは女性のワンショット写真で、どこで手に入れたのか、なぜかウエディングドレス姿で弾けるような笑顔の彼女の写真でした。
間違いなくXさんの結婚式での一コマでした。
そして、殺されたXさんの年齢。結婚はしたが離婚。殺された当時は独身だったという情報をハゲタカは付け加えました。そしてドスの効いた低い声で恫喝するように、こうも付け加えたのです。
その言葉を聞いた途端、ボクは急に恐怖を覚え恐ろしくなりました。
それは何もボクが警察に、犯人だと疑いを持たれているかも知れないと思ったからではなく、Xさんを殺害した犯人の男は、ボクのことを知っているのではないか? そんな考えがふと頭に浮かんだからでした。
火事当日にふらっと立ち寄ったラーメン屋にいた見知らぬ誰かが、ボクの姿を認め証言したように、Xさんを殺した犯人の男が、ボクの家の2階に出入りしていたのが事実なら、ボクは知らなくても、犯人の男は『僕の姿を何度か目撃したことがある可能性があるのではないか』そう想像したのです。
だとすると・・・
犯人の男は、ボクを探しているのではないか?・・・
ボクはそういう妄想をしたのです。
この考えは、ボクに見えない恐怖を与えるのに充分すぎるインパクトがありました。事実その日から、ボクは電車のホームに立っているのがとても怖くなった。
背後から見えない犯人がそっとボクに近づき、なき者にしようと機会を伺っているのではないか・・・。
街のどこかから、ボクを監視し続けているのではないか?・・・
見えない犯人に対する恐怖心
自分の勝手な想像から生まれたこの感情は日に日に強くなり、実にこのあと、ひと月もの間、ボクを苦しめることになったのです。